お父さんとあなたの
20年前の写真よ。覚えてる?



いよいよ、来月は引越だね。
3年間の福岡勤務、お疲れ様でした。
千葉から福岡に引っ越す時、住民票の「英国から転入」の文字が消えるのを悔しがっていたけれど、それよりも何よりも、母さんは、あなたが一人で朝起きて会社に行けるのか、心配でたまらなかった。

福岡は暮らしやすかったみたいね。食べ物がおいしくて、急激に太っちゃって、ジムで絞っては、また食べる、で、なんとかプラマイゼロでご帰還。遅刻もゼロの3年間。立派なもんです。

思えば、あなたの初めての引越は、7才のとき。 父さんが、突然「ロンドンの大学院で歴史の勉強をしたい」と言い出したのよね。母さんも「あらいいわね、外国暮らし。」と乗っかり、あなたに青山劇場の「ピーターパン」を見せて、「みんなでこの町に住むのよ」とその気にさせた。

42才の父さんは、大学院の教授に手紙を書き、ヨーロッパ史を学びたい自分の思いを必死に訴えたんだよ。その手紙は拙くて、文法的に怪しげな表現もあったけど、この手紙を読んだ時、母さんは確信したの。「これは本当にイギリスに行くことになる。」と。

私は、後にも先にも、日本語でも英語でも、これほど熱意に溢れて、まっすぐな手紙を読んだことはない。感動的だった。

5日後エアメールで返事が来た。教授から。
読んですぐ返事をくれたのね。
「あなたの手紙にcaptivateされた」つまり教授も感動したわけよね。

その後すぐ、母さんは会社を辞めて、御徒町で安くてでっかいスーツケースを2つ買ってきて、父さんをイギリスに送り出し、その2カ月後あなたと渡英したわけ。

父さんはロンドンで入学手続きと家探し、母さんは、引越とあなたの学校の手配で、2カ月はあっという間だった。

海外引越なんて初めてだし、商社員家族みたいに、会社のバックアップなし。今みたいにネット検索出来る時代でもなかったからね。よくやったと思う、3人ともね。それに、あの時全員無職なのに、なぜか全く不安を感じなかったな。なんであんなに楽観的だったのか。

そして、1996年5月。段ボール箱を積みあげたカートを押して、私たちがヒースロー国際空港の税関検査場を抜けたとき、いつものタンガリーシャツを着たお父さんが手を振っていた。

この写真は、その翌日。

ロンドンの北部フィンチリーという町のフラットに落ち着いた翌日、あなたとお父さんは、さっそく大英博物館に行きました。
この写真は、フラットを紹介してくれた不動産屋の前で撮ったらしい。

顔見知りの店員が出てきて「やあ、ご家族が来たんだね。これから大英博物館だって?」そしてあなたに言った。「マミーがいっぱいいるからね。しっかり見ておいで。」

かくして、
あなたがロンドンで最初に覚えた英語は「mummy(ミイラ)」でした。

さすが歴史家の娘だわ。

来月、あなたは、また新天地に降り立つ。20年前のこの時みたいにキラキラしてるかな。
持ち前の好奇心と慎重さを失わないでね。新たな冒険が始まるのだから。