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母は「のっぺさん」と呼んでいた。

実家の母の作る「のっぺさん」は、間違いなく「おふくろの味」だ。子供のころは母のオリジナルだと思っていたけれど、新潟の郷土料理「のっぺい汁」とほぼ材料が変わらない。ただし、片栗粉でとろみをつけない。だし汁を使わず、小さくカットした昆布を具にしてその出しを活用している。さらに、ここが大きな違いなのだが、我が家のは、「汁物」ではなく、「煮物」になる。ちょうど「おでん」の具をうんと小さくして頂くような感じ。母の誕生日、久しぶりに作ってみた。ちなみに私の実家は三重県で新潟と縁はありません。

母の作る薄味ののっぺさん。特に夏の暑い日に、冷たい茶粥に前の日の残りののっぺさんをかけて、ずずずっとかきこむのが、私のもっとも好きな食べ方だった。材料から推測するに多分秋から冬にかけての料理のはずだが、母は季節を問わずよく作ってくれた。

ムッシュを初めて家に連れて行った日も、母はのっぺさんを作ってくれた。ムッシュが「おいしいですね。これ。」と言っちゃったもんだから、数ヵ月後、巨大なガラスのジャーにのっぺさんを入れて、三重から持ってきたこともあった。新幹線に持ち込んだのね。重かったろうに。

びっくりするほど体力があって、いつも前向きな母は、事あるごとに私に言っていた。
「あんたは、本気だすとすごいんやから。できないことはないんやから。」
おかげで意味もなく自信家に育ってしまったけれど、この強気な性格のおかげで、得したことは多かったなあ。いま思うと、私にずっと暗示をかけていてくれたんだな。

娘が生まれてから、母のポジティブな考え方を象徴するエピソードがあった。
娘が小学校低学年のころ、学校に持って行ったお金を失くして帰ってきたことがあった。
「まったく、どんくさいと思わへん?」とぶつぶつ電話で愚痴を言う私に、母は、
「せやかて、よかったやん。」
「盗られるほうの親でよかったやん。盗ったほうの親やったら、それはつらいで。」
・・・予想外の返答に、私は言葉が出なかった。

私の父は私が7歳の時に亡くなっている。だから母はいわゆるシングルマザーで、父が残した薬屋をやりながら、私と、7歳上の姉を育てた。
そんな母の口癖は「ちょっと早かっただけや・・・」
つまり、「お父ちゃんが死んだのはちょっと早かっただけ。ほら、○○さんとこのご主人も亡くなりはった」
と、知り合いのお葬式があるたびにつぶやいていた。
母のダークサイドだけれど、こうでも言わないと、やっていけなかったんだと、今はわかる。

ちなみに母は、あまり料理は得意ではなく、夕ご飯の献立を考えるのは、本当に苦しそうだったなあ。私も姉も、好き嫌いなく何でも食べる子供だったけれど、一生懸命作っている母の料理を、きちんと言葉でほめてあげることはあまりなかった気がする。自分が料理の作り手となって、ムッシュや娘の「おいしい」の一言が、ものすごいモチベーションになることに気づいて反省したけど、もう遅い。

母は今年、父が亡くなってから、ぴったり50年後に父のところに行ってしまった。

のっぺさんを作るたびに私は母を思い出すだろう。お母ちゃん、ありがとう。50年間 がんばったね。お父ちゃんによろしくね